予算は、去年の地図のまま配られている
「とりあえず、前年比105%で組んでおいて」
来期の予算会議が、この一言から始まる会社は少なくありません。前年比は、忙しい会議では合理的な近道です。去年の配分で事業は回った。大きく外れることもない。
担当者は去年のファイルを開き、名前を変えて保存します。行の名前は去年と同じです。リスティング広告、SNS広告、展示会、代理店のフィー、制作費、ツールの利用料。数字だけが、少しずつ動く。
期中に入ると、別の言葉が聞こえてきます。「足りない分は、マーケで何とかして」。売上が厳しい月には「一旦、止めようか」。支援の現場で、何度も聞いてきた言葉です。どちらも、言う側にとっては切実です。売上の目標と、マーケの予算をつなぐ材料が、手元にないからです。
僕が予算表を見せてもらうとき、最初に聞くのは金額ではありません。「この行は、何を前提に引かれた線ですか」。たいてい、答えに少し時間がかかります。線を引いた人が、もう社内にいないこともあります。
今日は、その「前提」の話をします。
予算表の1行には、去年の地図が埋まっている
予算表の1行は、ただの費目ではありません。その行を最初に作った人が、ある問いに出した答えです。
リスティング広告の行には、「お客さまは困ったときに検索して、上のほうに出てきたものから比べ始める」という前提が入っています。展示会の行には、「買い手は年に一度、会場に来て、ブースで話を聞く」。SNS広告の行には、「お客さまは毎日フィードを見ていて、そこで知った商品を後で調べる」。代理店のフィーの行には、「この作業は、社内でやるより外に出したほうが安くて速い」。
どれも、作った年には正しかったはずです。正しかったから、行ができた。
ところが、行を引き継ぐときに、前提を確かめ直す手順がありません。表を開いて見えるのは、行の名前と金額だけです。前提は、どこにも書かれていない。だから前提が古くなっても、表の上では何も変わりません。行は残り、金額は前年比で少し増え、前提だけが静かに古くなっていきます。

前年踏襲は、資本の世界でも起きている
前年の配分をそのまま引き継ぐ習性は、マーケの予算に限りません。
McKinseyのスティーブン・ホールらが2012年に発表した調査があります。複数の事業を持つ米国の上場企業1,616社を、1990年から2005年までの15年間追いかけたものです。3分の1の事業単位では、その年に受け取った資本が前年とほぼ同じでした。前年との相関は0.99。論文は「ほとんどの会社が、同じ資源を、同じ事業に、毎年配っている」と書いています。
これは事業と事業のあいだの資本配分の研究で、マーケ予算の行と行の配分の研究ではありません。ここで借りたいのは一点だけです。事業の配分という一番大きな判断でさえ、前年のまま動かない。 マーケの予算表で同じことが起きていても、不思議はありません。

もうひとつ、今年の数字を置きます。Gartnerが2026年5月に公表した調査では、北米・英国・欧州のマーケティング責任者401人の予算は、売上に対して7.8%でした。前年は7.7%で、比率はほぼ横ばいです。そして56%が「今年の予算では、今年の戦略をまかなえない」と答えています。
売上に対する比率は動かない。やりたいことは増えている。総額を増やす議論は大事ですが、その前に配分を疑う価値があります。
ずれる地図は、3枚ある
予算表の前提がずれる地図は、3枚に分けられます。顧客の地図、チャネルの地図、自社の地図。3枚目がいちばん見落とされます。

1枚目:顧客の地図
お客さまが、どこで探し、何と比べ、何を見て決めるか。この地図は、ここ1年でかなり描き変わりました。
検索の手段として生成AIを使う人は52.3%です(サイバーエージェントGEOラボ、2026年9月公表、9,278人)。AIによる概要が出る検索では、日本でも、自然検索で1位のページのクリック率が、推計の見込みより62.7%低くなっていました(Ahrefs、2026年7月、推計値)。Googleによると、AIモードへの質問は、従来の検索の約3倍の長さです(米国のデータ)。
出典:https://www.cyberagent.co.jp/news/detail/id=33787
出典:https://ahrefs.com/ja/blog/ai-overviews-reduce-clicks-june-2026/
出典:https://blog.google/products/ads-commerce/ads-in-ai-mode-global/
52.3%は、検索をAIに置き換えた人の割合ではありません。Ahrefsの数字も自然検索のもので、広告の数字ではありません。読み取れるのは、お客さまの行動の形が変わったことです。長い質問をAIに投げ、答えの中で候補を絞り、残った候補を確かめに来る。
この地図の上では、リスティング広告の行の前提が二方向に動きます。短い一般語で需要を取りにいく行は、去年ほど確かではなくなっているかもしれません。一方で、AIで絞ったあとの指名や比較の検索は、むしろ前提が強まっている可能性があります。行を消すかどうかより先に、「どの種類の検索に置いている行か」を書き直す必要があります。
2枚目:チャネルの地図と、その数え方
2枚目は、お金を置いている場所そのものの地図です。同じ額を置いても、去年と同じ成果が返ってくるとは限りません。
同じ場所に積み増すほど、1円あたりの効果は落ちていきます。自動入札に任せた配信は、気づかないうちに配信先を変えている。どちらも、去年の予算表を作った時点の効き方とは、ずれてきている変化です。
この地図には、読み方の問題も重なります。どの会社でもよく見る場面があります。管理画面のROASは良い。でも、事業の売上は伸びていない。経営層からは「この広告、本当に効いてるの?」「止めたら、売上は下がるの?」と聞かれる。
管理画面の数字は、媒体が自分のルールで、自分の手柄として数えた成果です。広告に触れてはいるが、広告がなくても起きていた購入や、別の媒体も同時に自分の成果として数えている購入が混ざります。すでに買うつもりのお客さまを最後に刈り取る行ほど、数字は良く見えます。去年の予算表がこの数字をもとに配られていれば、数え方のずれごと、来期に引き継がれます。どう測り直すかは、水曜に書きます。
3枚目:自社の地図
いちばん見落とされるのが、3枚目です。事業の流れの中で、今どこがいちばん詰まっているか、という地図です。
お客さまは、知る、比べる、契約する、使い始める、使い続ける、という段階を進みます。どこか一つの段階が詰まると、その手前にどれだけお客さまを流し込んでも、全体は増えません。この詰まっている段階を、先週の水曜はボトルネックと呼びました。そして、ボトルネックは移動します。契約の手前の詰まりを広げると、今度は使い始めるところが詰まる。
予算は、放っておくと移動しません。去年、認知が足りないと判断して付けた予算は、今年も認知の行に残っています。今年詰まっているのが使い始める段階だったとしても、予算表の上では、認知の行が前年比105%になるだけです。
「予算が足りないから伸びないんです」という言葉を、支援の現場でよく聞きます。調べてみると、総額より、詰まっている段階に付いている額が足りないことが多い。
詰まっているのが使い始めや使い続けるところなら、打ち手はプロダクトやカスタマーサクセスであることが多く、マーケの予算表にはそもそも行がありません。配分の見直しは、マーケの表の中では閉じません。
制約は移動する。予算は、放っておくと移動しない。

予算が動かない理由
予算が動かないのは、怠慢のせいではありません。動かさないことに、経済的な理由と、社内の事情の両方があるからです。
まず、前年踏襲には経済的な合理性があります。マーケの効果は遅れて出て、積み重なります。去年の投資が、今年効いていることもある。測定のぶれが大きいときに配分を大きく動かすと、かえって悪くなる。計画が安定していれば、採用や在庫や資金繰りも安定します。去年うまくいった配分は、一度は結果が出た仮説です。ただし、その結果をどの数え方で読んだかによります。
社内の事情で、いちばん重いのは、行ごとに人と契約が付いていることです。リスティング広告の行には、運用の担当者と代理店が付いている。展示会の行には、毎年の出展準備をする人がいる。行を消すと、その人の仕事が消えます。予算表の配分は、そのまま社内の仕事の配分です。表を動かすのは、組織を動かすのと同じくらい重い。
前年と同じ行に少しだけ足す作り方なら、誰の判断も否定しなくて済みます。行を消すと「去年の判断は間違いだったのか」という話になる。
刈り取りの行は管理画面に数字が出るので、説明できる。ブランドや上流の行は数字が出にくいので、苦しい月に真っ先に名前が挙がる。測れる行ほど守られ、測りにくい行ほど削られる。この偏りが何年も続くと、予算表は少しずつ、刈り取りの行に寄っていきます。
中期経営計画は経営企画が春に作り、マーケの年間予算はマーケ部門が秋に作る。作る人も時期も物差しも違うので、中計の売上目標とマーケの指標がつながらないまま、毎年の予算が決まっていきます。
どれも、誰かが悪いわけではありません。合理的な判断が積み重なった結果、地図だけが古くなる。だから問題にしたいのは、確かめずに引き継ぐことです。確かめた結果「今年も同じ行でいい」となるなら、それは前年踏襲とは別物です。
止めた結果を、測っていたか
支援の現場で、マーケティングの予算が真っ先に削られた典型は2つです。コロナのときと、事業の成長が止まったとき。売上が厳しくなると「一旦止めようか」が始まり、効果を説明しにくい行から名前が挙がります。
Start-Xの創業も、コロナ禍のさなかでした。マーケティングの予算の説明が通らない、予算を削られる、という経験を何度もしています。
止めたあとに起きることは、二通りありました。
止めてしばらくしてから、売上と指名検索と商談が落ちてきた会社がありました。止めた月と落ちた月が離れているので、二つが結びつきにくい。落ち始めてから戻しても、元に戻るまでには時間がかかります。
止めても、本当に困らなかった予算もありました。削って正解だった予算です。去年の地図の上でだけ意味があった行だったのだと思います。
そして、止めたあとに「止めた結果」を測っていた会社と、測っていなかった会社がありました。僕の見立てでは、測っていれば、どちらに転んでも次の判断が早くなります。落ちてきたら早めに戻せる。困らなかったら、正しく削れたと言える。
ただ、止める前と後を比べるだけでは、季節や競合の動きと見分けがつきません。全部を一度に止めず、同じ時期に、止める地域と止めない地域を分けておくと、比べる相手が残ります。地域で分けられないほど小さな会社なら、指名検索と商談の数を前後で追ってください。営業の現場でお客さまが何と言っているかを聞くだけでも、何も見ないよりずっといい。

支援先で予算を通すときに添えるのは、今年の地図です。MMMと需要の予測で、この行にお金を置くとどれくらい事業が伸びる見込みかを示し、実際に止めたり増やしたりした結果で答え合わせをします。
予算の議論が、金額の多い少ないから、前提が今年も正しいかに移ると、決める側も判断しやすくなります。
伸びているときも、予算は去年の地図で配られる
伸びている事業でも、同じことが起きます。
「伸びてるんだから、もっと広告を突っ込もう」「今がアクセルの踏みどきだ」「来期も、同じ伸び率で計画を組もう」。支援の現場で、どれも聞いてきた言葉です。
伸びている事業の予算は、去年の伸びを前提に配られます。でも、去年伸びた理由が今年も続くとは限りません。市場の追い風だけで伸びていた。次の1件を取るための単価が、じわじわ上がっている。継続率が少しずつ落ちている。顧客獲得の費用を回収するまでの期間が延びている。こうしたサインが出ているのに去年の伸び率を引き伸ばすと、追い風が止んだ瞬間に、大きな予算だけが残ります。
実際に、追加の投資を抑えるよう支援先に伝えたことがあります。この4つのサインのどれかが出ていたからです。
どれも出ていないなら、積み増しを検討してください。どこまで積むかは、追加した分でどれだけ増えるかで決めます。これも水曜に書きます。
Start-Xでも、近い判断をしました。こちらは、事業の配分の話です。創業はコロナ禍でした。やりたかったのはマーケティングと経営の戦略ですが、最初は動画マーケティングの支援とDXから始めています。その動画の支援が伸びていた時期に、積み増すこともできました。でも、積み増さなかった。お金と時間を、戦略の領域と、Marketing-OSへ移しました。伸びている行に積み続けるのは、去年の地図の上で、いちばん分かりやすい選択です。予算の判断は、削るときより、伸びているときのほうが難しいと思っています。
この見方の限界
McKinseyの調査は、3年未満の短い期間で見ると、資源を大きく動かした会社のほうが成績が悪かったとも書いています。勧めているのは、毎年の劇的な変更より、中長期で一貫して動かし続けることです。
認知の行も、すべてが去年の名残とは限りません。来年以降の需要を支える行は、止めた影響が遅れて、少しずつ出ます。今年の詰まりの物差しで測ると、効いていないように見えます。
そして、詰まっている段階は年に一度の予算編成より速く動きます。年次の配分だけでは追いかけきれません。年次の配分とは別に、期中に動かせる小さな調整枠を持つ、という2層の持ち方があります。設計の仕方は、水曜に書きます。
最後に、地図が変わったかどうかは、数字で確かめる必要があります。「最近はAIの時代だから、検索広告は古い」と感じて行を消すのは、去年の地図を、別の思い込みに書き換えるだけです。
小さな一歩:上位5行に、2つの問いを
来期の予算会議の前に、やることはひとつです。
経営層は、問う。
次の予算の会議で、金額の大きい上位5行について、2つだけ問いかけてください。「この行は、お客さまのどんな行動を前提にしているか」「それが今年も正しいと言える材料は何か」。答えられない行は、条件付きで承認します。最初の四半期のレビューまでに、前提と材料を出すことが条件です。来年以降の需要をつくる行は、指名検索や想起の推移など、その時間軸に合った材料で答えて構いません。
マーケや事業の責任者は、書く。
その2つの問いに答えられるよう、上位5行の横に、3つのことを1行ずつ書いておきます。
この行が前提にしている、お客さまの行動(顧客の地図)
この行が効いていると言える根拠と、それを何で測ったか(チャネルの地図と、その数え方)
事業のどの段階を広げるための行か(自社の地図)
去年の資料や、運用の担当者の話から、言葉にしてみてください。書けない欄が出てきます。それが、地図のない行です。金額の議論は、その行の前提が分かってからで間に合います。

今日、確かめる3つのこと
1. 来期の予算表を、前年のファイルをコピーして作り始めていないか
コピーから始めると、行の名前と一緒に前提も引き継がれます。上位5行だけでも、白紙から書いてみる価値があります。
2. 上位5行は、中期経営計画の売上目標の、どの数字につながっているか
つながりを書けない行は、期中に「足りない分はマーケで何とかして」と言われたとき、守る言葉を持っていません。
3. 今いちばん詰まっている段階はどこか。そこには、どの部門の予算が付いているか
マーケの表の外に答えがあるなら、それは経営層にしか動かせない配分です。
予算の会議で「足りない」と言いたくなったら、その前に、上位5行の前提を読み上げてみてください。読み上げた前提が今年の事実と合っていれば、本当に足りないのかもしれません。合っていなければ、足りないのはお金ではなく、地図です。
水曜は、予算の1行ずつを「投資」として判断する、4つの基準を書きます。
今日の要点
予算表の1行には、去年の前提が埋まっている。前提は毎年変わるのに、表には行の名前と金額しか見えない
前提がずれる地図は3枚。顧客の地図、チャネルの地図、自社の地図。 3枚目がいちばん見落とされる。制約は移動するのに、予算は放っておくと移動しない
前年踏襲には合理性もある。問題は、確かめずに引き継ぐこと
経営層は上位5行の前提を問い、責任者はそれを書く。書けない欄が、地図のない行
来期の予算表を前に、「どの行の前提から確かめればいいか」を一緒に見てほしい方は、気軽に声をかけてください。地図の描き直し方、確かめる数字の選び方、経営層への見せ方。どこから手をつけるかを、一緒に整理します。
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— 山口偉大 / Yamaguchi Takehiro
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